天狗製菓のブログ。あなたのおやつに横綱あられ。

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吉田神社の節分
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    2月にはいりましたがお昼間はそんなに寒くないですね!
    皆様!お変わりございませんか?
    ヒネーリ  テング  タカ でございます(^◇^)!!

    さて、2月といえば、我々京都人は左京区にある吉田神社の節分祭へ行き
    厄払いをしていただきます(^◇^)!!
    当日は夜店がでてにぎやかで楽しいですよ!



    その中に、『菓祖神社』と言うお菓子の神社があります!!
    天狗製菓も常日頃から大変お世話になっております(^◇^)!





    菓子といわれるものの初めは原始時代の果物や木の実であり、
    果子(くだもの)といった。
    『古事記』の伝説の菓子は橘であるといわれており、
    田道間守は兵庫県出石街の中島神社に祀られ、
    日本の菓祖といわれている。

    その後6世紀になって仏教伝来とともに供物として大陸の菓子が伝わり、
    ここから菓子の歴史が始まることとなる。

    奈良・平安時代の儀式など特別な際には、
    干菓子(松の実、干なつめ等)、木菓子(栗、橘、柿等)、
    そして唐菓子が用いられた。

    唐菓子は長安の点心がモデルであり、
    奈良・平安初期に遣唐使らによって日本に入ってきた。
    平安末期には消滅してしまったものも少なくないが、
    和菓子の原型となったものがあり、
    それが粽(ちまき)や、おこし、煎餅などである。

    その後鎌倉期に抹茶が伝わり、
    室町期に武家社会で茶の湯独自の発展を始め、
    和菓子とお茶はかかわりの深いものとなる。
    当時の茶会の菓子は、
    柿や栗などの果物、餅類、煮しめなどで、
    利休がしばしば使った「フノヤキ」は
    小麦粉を水に溶いて焼き鍋の上で焼き上げ、
    片面に味噌を塗って巻いた素朴なものだった。

    その後、南蛮人によって、
    “こんぺいとう”などのヨーロッパ菓子が伝わったが、
    南蛮菓子が日本の菓子となっていくのは、
    日本で糖が作られるようになった江戸中期以降である。
    これ以降、菓子は京都で茶の味をひきたてる興味深いお菓子として、
    見た目も優雅に独特の発展を遂げたのである。
    江戸では蒸し菓子、干菓子、雑菓子が発達し、
    南蛮菓子は和菓子の一種としてとらえられ、
    江戸末期には古くからの日本の菓子と融合して集大成された。

    一方、洋菓子の原型となったのもこの南蛮菓子であるが、
    洋菓子としてとらえられ始めたのは、明治維新後である。
    明治初年には輸入量・国内生産が大量に増加し、
    パン・ビスケット・チョコレート、
    洋酒入りボンボンなどはこのころから作られるようになった。

    明治21年、現森永製菓がキャンデーの製造に着手、
    明治後期には日本初の板チョコを販売した。
    またそのころ不二家が開店し、
    デコレーションケーキやシュークリームを店頭販売している。
    戦争後、クリスマスケーキやバースデーケーキが大流行し、
    家庭に普及するようになり、
    昭和50年代には多様な菓子があふれるようになり
    洋菓子は大衆の菓子となったのである。(京都府菓子卸商業組合様 HP より)

    観光でお越しの際は、一度吉田神社へ行ってみてください!!



     









     
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